紙と鉛筆でエッセイwriting!

AIに容易に影響され、インターネットの情報をクリティカルシンキングで吟味もせずに信じ込み、AIの書いたものが自分の考えだと脳がまるで退化したかのように、自分のWritingに使用する。
脳の一番人間たるCognitive 領域を使うこともなくなった大学生たちの末路が見える。

名門University of TorontoのWritingのProfessor Siddiquiがこの3年で気がついたこと。

「学生の書くものに新しいIdeaが見られなくなった。今まで何度も言い古された同じトピックを繰り返し使う。」
「そんなわけないだろうと言いたいくらい完璧なDraft(下書きの段階のエッセイ)を提出してくる。授業ではphoneとdeviceに気がそぞろ。」

 Siddiquiは自分の教室に90年代のクラスを再現することにした。
楽しくて、居心地が良い集まりの場で、そこでは学生は自分自身の考えに頼り、クラスメートと一緒に問題解決をしていく。

 Siddiquiの考えは”Mix Things Up”.
彼のクラスの一部を完全にTech-freeとすること。
「私の教える学生には自分自身の知性を使い、取り組んでいることの概念についてウンウン考え、その困難な過程から学んでほしい。」
「このような学びの過程がいかに大切かを学生に認識してほしい。」

本当に同感です。
その通りです。

ほんの少し前まで人間は、自分たちの知性を自分で磨いていました。
本をたくさん読み、その概念について分析し、具体的な内容から抽象的な概念を見つけ出す。
そして、その得た知識を他と共有し、Collective Learnigngとして人間は大きく変化してきたのです。

ところが今は、こんなになってしまいました。

人間は自分たちの知性を磨くことには興味がなくなった。
本も読まなくなり、自分で本の概念を分析することもなく、AIに概念を要約させ、それに疑問も持たず、自分の考えだとしまい込む。学生はそれを宿題として提出する。
自責の念も全く持たず。
人類は、それぞれが得た知識を共有することもなくなった。人類を進化させてきたCollective Learnigngは死滅寸前。
AIにコントロールされた人間たちは、AIの知識を疑いもなく正しいものとして共有し、自滅の道を歩む。

 Siddiquiの90年代クラスを経験した学生は、こうレポートしています。
「集中力を持てたし、自分自身の考えに頼ってもいいんだと再認識。同級生との考えのキャッチボールもとても役にたったと。そしてScreenのないクラスは全く気にならないとも。」

私と相棒のロバートが指導するのは、オンライン教室カナダクラブ

ということですべてTech-freeというわけには行きませんが、何とか90年代に近い環境を考えてみたいと思っています。
現代の生徒たちは、何を学んでも、「学ぶ過程」ではなく、「到達した高いスコア」にだけ興味が向いてしまっています。

学ぶということは、脳が考え始め、苦しんであっちこっち迷い、最終的に自分で問題解決し、新しい知識をつけることを指します。それが「学び」です。
とっととひとつのレベルを仕上げて次に行くことではありません。
相棒ロバート自慢のEssay Basicsも、1〜40までのレベルをいかに早く終えるかに執着する生徒もいれば、様々な英語のWritingを楽しんで学べる生徒もいます。

どちらが最後には高い能力をつけるかって?
当たり前。

人間の人間足る能力「考える」が脳に備わっている生徒です。

何とかカナダクラブの生徒たちがみな「考える」生徒の脳を持てるよう、工夫が今必要ですね。
ロバートと私のCreativityと長年の経験を駆使して考えてみます。
私たちの教え方、全然変わってませんよ!

90年代のRobert & Machikoの授業風景です。
再現してみましょうか?!

大澤眞知子
Robert McMillan

カナダクラブにいらっしゃい!